「十四山中学校は永遠に」 旧十四山中学校職員  奥山 巧

「十四山中学校は永遠に」

 

 私が十四山中学校に赴任したのは昭和五十六年四月だった。赴任のあいさつに吉川博先生のお宅に伺った。先生は「ああ君が大阪から来た奥山君か、十中のためにがんばってくれよ」と言われたので『親戚も頼る者もいない私を名前まで知ってくださっていたのか』と思ったら、俄然やる気に火が付いた。そしてこの時に、名前を憶えて呼ぶという行為は、呼ばれた本人にとって、いかに強く心に響くかを知ったのである。十中で実際に授業や部活動に取り組むと消極的な生徒が多く、各種競技大会では委縮して力を出せなかった。また学習習慣も身に付いていない生徒が多かった。これはダメだ。中学生の時から学力体力精神力を鍛えあげ、地力を備えた人材を育てなければと心に誓った。すると連動して岩田校長が「たくましい人間を育てよ」と号令をかけ、職員一丸となって燃えに燃えて学習に部活動等に取り組んだ。やがて学力は海部地区最上位、部活動でも上位進出し、野球部は全国大会まで進むことができた。その間多くの優秀な人材、地域に貢献できる人材を輩出することができた。私は教諭、校長、市教育委員・教育長として計二十四年に渡り当校とかかわった。昭和から現在まで常に在校生、卒業生、教職員の幸福を願いつつ閉校に至ることは、心淋しいが感謝の気持ちでいっぱいである。十中で育った寛容で粘り強い精神は後世に伝わり、十四山中学校は永遠である。

 

奥山 巧