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戦争体験から学ぶ (2017.7.7)

 2年生が平和学習の一環として戦死者の遺族である中村桂子さんをお招きし、戦争体験を聞き、戦争や平和について学びました。生徒の感想を一部抜粋して掲載します。

                                                     

 中村さんのお父さんの日比野さんは日本で唯一地上戦が行われた沖縄で戦った兵士でした。 敵の爆弾に飛ばされたが運よく井戸のところに飛ばされ死なずにすみ、「僕だけ生きて悪かった」と思ったそうです。生きていることはとても輝かしいことなのに戦争は人にこんなことも思わせるのだなと知りました。
  娘の中村さんに「戦争は絶対にしてはいけない」と強く言ったそうです。また、当時は戦争のことを悪く言うと思わぬ形で批判されることがあったそうです。僕たちはもうすぐ、戦争時であれば兵隊として戦争に行く年齢になります。僕たちはこれからの未来を作っていきます。戦争の悲惨さを伝えていき、絶対に戦争を起こしてはならないと強く思いました。(2年男子)

広島研修発表 (2017.7.1)

 弥富市内3中学校の3年生の生徒が2年時に行った広島研修について発表し、平和へのおもいを伝えました。十四山中は3年の女子生徒が発表しました。以下に全文を掲載します。

                                                  

 平和記念資料館に被爆者の方の遺品がそのまま展示してあることは事前に知っていました。しかし、想像を遥かに上回るむごたらしさに、私は被爆者の方の苦しさや無念さを感じ、直視することができませんでした。原爆の爆風によって服が燃えてしまっただけでなく、焼けただれた皮膚が指先からぶら下がっている人形がありました。原爆が投下された直後には、たくさんの人たちがこの人形のようになり、苦しんでいたのでしょう。被爆者の方は、被爆直後には何の情報もなく、ただ自分や我が子が生きることだけを考え、「熱い、痛い、助けて!」と叫んでいたのではないでしょうか。そう思うと、目の前の人形が私に助けてほしいと訴えているように思えてきて、私はその場に留まることができなくなりました。平和記念資料館で見た時計は1945年8月6日8時15分で止まっていました。原爆の投下は、私の祖父母が生まれる前の遠い昔の出来事だと思っていました。しかし、平和学習を通して、原爆の放射線のせいで今も苦しみ続けている人がいることを知りました。また、これほどひどい被害を生み出した核兵器が今も世界には大量に保有されていることや、今でも戦争をしている地域が思っていた以上にたくさんあることを知り、驚きました。平和公園には「平和の灯火」がありました。この火は地球上から核兵器がなくなったときに消されるそうです。私は日本だけでなく、世界のどこででもこれ以上被爆者が増えてほしくないと思います。また、国家同士の交渉も核で威嚇することなく、どの国もお互いの立場を尊重した話し合いをしていける日が来ることを願っています。一日も早く「平和の灯火」が役目を終え、世界の誰もが安心して生活できる平和な世界を私たちの手で築いていきたいです。

中学校総合体育大会 壮行会 (2017.7.3)

 

 意気込みが伝わってくる壮行会でした。大会までに準備することは全て行い、悔いのないように大会に臨んでください。準備の中では心身のコンディションを最高にすることが一番大事です。今までの自分のプレーで最高のものを頭の中で思い描き、大会で躍動する自分をイメージしましょう。
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